広瀬正『マイナス・ゼロ』集英社文庫

1963年、浜田俊夫は及川という人の家の離れの研究室にいた。18年前、かつてこの家の住人であった伊沢博士は焼夷弾の直撃を受けて死んだが、いまわの際に俊夫に<千九百六十三年五月二十六日午前零時、研究室へ行くこと>という言葉を遺した。そして約束の時間、研究室に現れたのは、空襲のあと行方不明になっていた博士の娘・啓子だった......。



タイムマシンで過去へ飛んだら、手違いでマシンだけが未来に戻ってしまって取り残される…という設定は、タイムマシン物の物語のお約束である。それこそ「ドラえもん」にもこの手の話があったように思う。1970年の作品なので、ある程度の古さは仕方ないだろう。
しかし、奥行きのある小説世界は今読んでも決して古びていない。ゆっくりとしたテンポの文体に身を任せながら読み進めていけば、じっくりと物語の世界を堪能できる。
この物語の面白さのツボは3つある。1つは、社会風俗の描写のディテールが細かく書き込まれていることである。解説で星新一も触れているが、昭和初めのころの銀座の店の並びや物価一覧など、よく調べたなあという資料を元に物語を作っている。読者は主人公と一緒にタイムスリップ先の日本の世相に触れることで、自分もタイムスリップしたかのような感覚になれる。
もう1つは、物語の深みである。タイムトラベルをすると言っても、原始時代やら恐竜時代やら、延べ何億年もの時空を自由自在に旅するわけではない。タイムトラベルするのは30年ぐらいの時間幅である。しかしその「短い」タイムトラベルの物語の中に、タイムマシンによって織りなされる登場人物の人生が実に丹念に書き込まれていて、「時の流れ」の重みを感じさせる。一瞬で時空を駆け抜けるタイムトラベルのシーンばかりでなく、その間に普通の時間の流れの中で生きていく登場人物の人生をはさみこむという構成は、実にうまい。
最後の1つは、タイムトラベルが複雑に絡みあう構成の妙である。ヒマな私は、この物語での登場人物の動きを整理するべく、登場人物のタイムトラベルの様子を記した「時空存在表」見たいなものを作ってみた。物語の最後に明かされる「驚き」の意味がようやく分かるとともに、あちこちに伏線がちゃんと張っており、1つの時間の流れの中にきちんと位置づけられていることに驚いた。その部分でミステリー的な楽しみもちょっと味わえる。

タイムマシンというただ1つの設定から、これだけ豊かな物語が誕生した。この本を読む時は、ヒマのあるときにのんびりと、小説世界にゆっくり浸りながら読んでほしい。