菅浩江『アイ・アム I am.』祥伝社文庫

目覚めたとき、「私」は病院の一室にいた。丸い胴体、人間の腕「のような」アーム、そしてホログラムの顔。「私」はロボットであった。「ミキ」と名付けられた「私」は介護ロボットとして、死と向かい合わせの人々が集まる病院内で働き始めた。ロボットとして「死」と向き合う日々の中、ときおり甦る「記憶」。「『私』は誰なのだろう……」という問いは、「私」を院長の元へ向かわせる。



400円文庫の短い分量だが、涙腺のツボを突いてくる文章。抑えた描写ながら、そこから登場人物たちの思いをにじみださせる所は菅浩江の持ち味。SFのコードに乗っかったストーリーでありながら、そこにさまざまな意味を込めていく展開のさせ方は見事。辛気臭くなりがちなテーマを扱いながら、決して重苦しくならない。400円文庫とは言えあなどれない一冊。おすすめである。

高齢化社会と介護問題、植物人間と安楽死脳死と臓器移植、終末期医療。医学の発達は多くの人間を「死」から救ってきた。その一方で、機械によって生かされていたり、緩慢にしかし着実に死へと向かっていたりする、「生」と「死」の中間にある人々を多く生み出した。「生」と「死」の境界が揺らぐことによって、「生命」というものの意味が根本から問われている。生命倫理の問題は非常にホットなテーマとなった。
しかし、よく考えてみれば、サイボーグのような「機械によって生かされる人間」といったテーマは、SF小説でよく使われてきたモチーフであった。人間と機械との境界については、哲学や社会学なんかよりも、SFがいちばん想像力をめぐらしてきたのかもしれない。もしかしたら、SFの中の「機械と人間」というモチーフは、今の生命倫理の問題を考えるときの一つの取っ掛かりとなりうるのではないか、そんなことを考える。