S・ウォーターズ『半身』創元推理文庫

ヴィクトリア朝時代のイギリスは、「光と闇」が隣り合わせに存在していた時代であった。
植民地と工場と鉄道が生み出す富によって繁栄を見せる一方で、貧富の差は拡大していた。シルクハットの紳士とドレスをまとった貴婦人を乗せた馬車がゆく大通りの裏手では、アヘン窟や売春宿が軒を連ねるスラムを切り裂きジャックが闊歩する。科学の進歩の名のもとガス灯が夕闇を照らす一方で、石炭の煙がもたらした霧の中に霊媒が死者の霊を呼び出す。紳士淑女のたしなみがやかましく言われる一方、夜になればコカインをやりながら享楽にふける世紀末の人々。
「光と闇」の両方の世界を含むがゆえに、ヴィクトリア朝時代は多くの人の目に魅力的に映る。そして、シャーロック・ホームズが魅力的なヒーローである所以は、この両者の世界を行き来するところにあるのではないだろうか。そう言えば、大正から昭和にかけての日本も同じような雰囲気を持つ。そして、光と闇が同居する帝都東京には、明智小五郎であり、少年探偵団であり、怪人二十面相といった魅力的なヒーローがそろっていたではないか。


物語はヴィクトリア朝の「闇」の象徴とも言うべきミルバンク監獄を、「光」の中で生活を送るマーガレットが慰問に訪れるところから始まる。不自由なく暮らしつつも心の片隅に「影」を持つマーガレットが、暗い独房の中にぽつりと光る「灯」のような存在感をたたえた囚人・シライナと出会う。
物語の中で描かれる光と闇との対比が非常に印象的である。ロウソクの明かりだけがかすかに揺れる地下の懲罰房(この描写が凄まじい)、明かりを消した降霊会の会場など、光と闇のコントラストの描写が非常に巧みである。さらに、監獄の闇の中で光を放つかのようなシライナの存在感、一方で光に満ちた生活の中でマーガレットを覆う影も巧みに描き出していく。そして、シライナという光に急速に引きつけられて、激しさを増していくマーガレットの心の動きとともに、物語のテンポも一気に上がってくる。
その結末に待っている「虚脱感」がたまらない。それは暗闇に突き落とされたのか、白日の下ですべてが終わったのか、どちらなのかは実際に読んでもらったほうがよい。いずれにせよ、この「虚脱感」がある意味で逆に強烈な読後感を残す。「これはミステリか?そうじゃないか?」という話をするのがバカらしくなる。この読後感は、きっと誰かに話さずにはいられないだろう。
この作者は他に2冊の本を刊行しているそうだが、この本とはまたタッチの異なる作品らしい。いったいどんな感じなんだろうか。読んでみたい。というか、次の本は新刊で買うつもりだ。