「本格vs社会派」論に補足

一昨日からの「本格vs社会派」をめぐる文章にひとつ補足。今では「社会派の総本山」かのようなとらえ方をされている松本清張だが、清張自身のミステリー観はどういうものだったのだろうか。それは必ずしも謎解きを否定するものではなかったのではないか。
というのも、山前譲『日本ミステリーの100年』(光文社知恵の森文庫)の中で、このような言及を見つけたからである。

こうしたやや閉塞した状況を打開しようと企画されたのが、松本清張の監修による書き下ろしの「新本格推理小説全集」*1だった。題材主義によりかかったことと、不適格な作品が推理小説の名において横行したことで、推理小説はその本来あるべき性格を失いつつあるとして、「本格は本格に還れ」と監修者の言葉で述べている。
松本清張は、あくまでも謎解きが基本であるとして、昭和三十年代の動向を踏まえたうえでの更なる展開を求めたのだ。この企画の前に松本清張は「ネオ・本格」と言っていたが、全集では「新本格」という名称が選ばれた。(一九六六年の項。pp.214-5)

もちろん原文に当たったわけではなく孫引きなので、実際にどのようなニュアンスで言っていたかはよく分からない。また、清張の言わんとする「本格」が何なのかもこれだけでは分からない。しかし、少なくとも清張自身は「本格」というジャンルを批判的に見ていたわけではない、ということのひとつの例証になるだろう。
清張のミステリー観についてはこれ以上詳しいところは私も知らないし、清張自身のエッセイや清張作品の研究書を読むべきなのだろう。ひとつの課題として提示しておく。
調べれば調べるほど、「社会派というお化け」の正体が分からなくなってくる。

*1:余談だがこの全集に収録されている作家名のみ挙げると、鮎川哲也陳舜臣・三好徹・戸川昌子高木彬光・佐賀潜・結城昌治佐野洋多岐川恭・島田一男。このラインナップもまた興味深い。