もうひとつの「ネットミステリ界」の昔話。

ミステリサイト興亡記 - Togetterミステリサイト興亡記 その2 - Togetterを見ていて、Twitter上につらつらと書いた昔話を、せっかくだからこちらにも残してみる。それは、「ミステリー’z ML」のこと。

時は前世紀、1999年3月にひで(@hid_nya)さんがミステリ書評&情報メルマガの「ミステリー’z」の配信を開始し、その後間もなく5月に読者交流用のメーリングリスト(ML)を開設した*1
メルマガは最初、今は無きココデ・メールからの配信だったはず。メルマガ「ミステリー’z」は、出版社系メルマガを除くと、当時のミステリ系メルマガの中では質量ともに充実していて、すぐに読者も増えていった。当時の私は、遅ればせながら新本格や創元系作家を読み始め、北村薫と運命的な出会いをし、さらに森博嗣のS&Mシリーズに衝撃を受けて頭から読み始めていた頃。いろんな作家の情報を手に入れたくて、メーリングリスト開設後、私もすぐに参加登録をした。


加入したその日から猛烈な数のメールが飛び交っていた。誰かが書評を流せばそれにコメントがつき、誰かが好きな作家を挙げれば賛同のレスがつき、新しい参加者が来れば歓迎のレスがつく、といった次第。ピークの時には参加者が600人ぐらいで、それなりにアクティブな投稿者が数十人いて、一日15〜20通ぐらいのメールが飛び交っていた。私がどんな作家の話を振ってもレスが付くし、面白そうな作家の名前が次々挙がるし、読んだ感想を流せばさらにおすすめの本が返ってくる。本当に飽きなかった。


面白かったのは、肝心のひで@管理人がMLの方ではROMで、参加者が勝手に投稿を増やしていったこと。当時、今もあるFreeMLのようなML管理サイトには、ミステリ系を名乗るMLがいくつか立ち上がってはいたものの、だいたいは管理人しか投稿がなく、投稿数が2桁にすら達しないままフェードアウトしていくものが大多数だった。メルマガ読者という基盤があったとはいえ、こういう形で勝手にコミュニティが盛り上がっていったのはたぶん異例のケースだと思う。
あと、アクティブユーザの中には、当時の有名ミステリサイト管理人があまりいなかったこと。現在も知られている方だとhttp://members3.jcom.home.ne.jp/tsukida/の月田さんぐらいではなかったか。ニフティのFSUIRIを知るベテランの方は多かったし、もしかしたらROMっていた中にたくさんいたのかもしれないけれども、少なくとも、「ミステリ系更新されてますリンク」や「MYSCON」に代表される、いわゆる「ネットミステリ界」とは別のコミュニティだった。
サイトや掲示板のような交流の場を持っていたわけではないメンバーが集まったからこそ、あの盛り上がりがあったのかもしれない。私にとって、「ネットってすげーなあ」と思ったのは、このMLの経験が最初だった。


で、開設してから半年も経っていない99年の10月にオフ会が開催された。しかも関西と関東でほぼ同じぐらいのタイミング。これまたえらい盛り上がった。フットワークの軽いメンバーが多かったので、その後もメンバーが関東から関西に行ったり、逆に関西から関東に来たのを口実にオフをやり、またそれが楽しそうなオフレポとしてMLに流れるもんだから、さらに輪をかけてオフ会に参加者が増える。関西で開催されたオフなのに、他地域から参加した人が何人もいるなんてこともザラ。そんなこんなで、だいたい隔月でどこかでオフが開かれるという有様だった。ちなみにオフの2次会の定番として、カラオケ屋に入るものの歌はいっさい歌わずに延々とミステリを語るという「歌わないカラオケ」が定着したのはいつだったかな……。
実は、私が生まれて初めて「一人旅」をしたのは、関西で開かれるオフに遠征した時だったりする。その後ご承知の通り鉄道旅にハマるわけだが、たいていその途中でオフ会として北海道や大阪のメンバーと遊んでいたものだった。


そうなると、時間を気にせずにぐだぐだ語れるオフをやっちゃえー、ということで、MYSCONみたいな泊まりがけオフを2回ほどやったことがある。その時は、有栖川有栖の学生アリスシリーズでおなじみ「マーダーゲーム」を実際にやってみたりもした。うち1回は、今は亡きミステリ誌「KADOKAWAミステリ」が取材に来てたこともある。


開設から3年ぐらいは毎日複数通のメールが流れるという感じの盛り上がりを見せていて、到底この勢いが止まるとは思えなかった「ミステリー’z ML」だったが、いろいろ状況が変わる中でさすがに投稿数も下火になっていき、本体のメルマガも諸事情で06年には配信停止となる中、4年前ぐらいからは通常投稿がほぼ無くなっているというのが現状。諸行無常。ただ、延べメール数がだいたい15000通というのは、この手のMLとしてはちょっとした規模だろう。
当時からの顔なじみメンバーは普通に友人付き合いをしていて何かと会っているし、仲間から作家も生まれた。さらに知っているだけで2組、まもなく3組目の「ML内夫婦」ができている。つくづく面白いコミュニティだよな、と思う。


そんなわけで、ネットミステリ界のちょっと脇で盛り上がっていた、ひとつのミステリコミュニティの昔話。メーリングリストが、今のSNSみたいな交流のツールだったというのは、これまた歴史だなあと思わずにはいられない。

*1:日付はご本人の記憶による。