マレー半島すちゃらか随想(4)〜アジアは意外と狭かった〜

手元にある名簿で、今回の研修参加者の国籍を見てみる。コーチ・生徒全部ひっくるめて、最大派閥はオーストラリアでだいたい全体の4割。二番手が我が日本で、韓国、シンガポール、マレーシアと続き、タイとインド、そして中国(香港含む)がちょっとずつ。さて、これでどういう顔触れを想像するだろうか。
クラスルームをざっと見渡すと、いわゆる西洋系の顔がまばらにしかない。それもそのはずで、実はオーストラリア勢の中で西洋系なのはおおよそ半分以下、あとはみんな中国系だったり、中東系だったりと、いわゆるアジア系なのだ。すると、クラス全体で見れば、西洋系の顔は2割以下しかいないということになる。
こうなると、目の前にいる中国系の顔をした人が、香港から来たのかオーストラリアから来たのかシンガポールから来たのかもう分からない。国籍と民族がほぼ一対一で対応する日本という国から来た私にとってはけっこう新鮮な体験だった。そして面白いことに、「国籍」という意識がどんどんなくなっていく。日本で外人に会うとつい「この人は○○の国の人だ」と国籍をもとに考えてしまうのだが、ここではまるっきりそんな意識はなかった。


もう一つ興味深かったのが、マンダリン(北京語=いわゆる中国語)を使える人がかなりいたこと。特にマレーシアやシンガポールから来た人にはいわゆる華僑が多く、ともすれば英語ではなく中国語で会話をしていた。中国や香港から来ていた人はほとんどいなかったにもかかわらず、クラスの三分の一ぐらいは普通に中国語が通じていたと思う。
たぶん、「大学を出てうちの会社に来るような人は所得の高い階層出身で、この層には中国系が多い」といった偏りがありそうだから、「アジアのどこでも中国語が通じる」と一般化はできないだろう。ただ、実際のビジネスの場面などを考えると、中国語を知っているというのがかなりのアドバンテージになるような気もしている。英語にプラスαで別の外国語を勉強するならば、意外と中国語はつぶしがきくかもしれない。