私って、言葉遣いがルーズな人間じゃないですか
蒼月夜行@黒猫荘の話題にこちらで反応。
「この間、綾辻の新刊が出たじゃないですか*1。俺ってミステリ好きな人間じゃないですか。だからすぐに本屋に行ったんスよ」という「〜じゃないですか」語尾の話。ことのほか叩かれるのは後ろの例のように、自分のことについて「〜じゃないですかぁ」と話す言い方である。一般論壇ばかりでなく、言語学方面でもちょこちょこ論考が出ているらしい。
専門的ではない文章をざっと探してみたらこんなものがあった。
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/gengo/petit/petit2000feb21.html
(つづき→http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/gengo/petit/petit2000feb28.html)
http://tkynx0.phys.s.u-tokyo.ac.jp/torii/language/janaidesuka.html
http://d.hatena.ne.jp/FlowerLounge/20040111#p2
http://www.ohnichi.de/Rennsai/nihongo8.htm
二番目の例のように自分のことに対して「〜じゃないですか」と言うのには私も違和感を覚える。ただ、最初の例のように一般的事実に対して使う言い方は、改まった場所では使わないように気をつけているが、くだけた会話ではときどき使っているし、あまり違和感を感じない。
私は、「〜でしょ」や「〜だよね」と同じような言い回しである「〜じゃん(か)」が、変な形で丁寧語化されて「〜じゃないですか」となったという仮説を立てている。というのも、「新刊が出たじゃん」「俺ってミステリ好きじゃん」という言い方は、(私の感覚では)それほど違和感を覚えないからだ。
ここでの「〜じゃん」はただの接尾語というか終助詞で、同意を強制するような意味合いはそれほど強くない。この「〜じゃん」をそのまま丁寧語っぽくしたのが「〜じゃないですか」で、丁寧語以上の意味は何もない。ただ、「〜じゃん」という言い方になじんでいない人だと、「新刊はまだ出ていないんじゃないですか?」という疑問形と同じ語尾になってしまうこともあって、特に一人称の文だと非常に押しつけがましい印象を受けることになる*2。これが私の仮説だ。
もっとも、どちらがどちらの語源になっているかという話はニワトリとタマゴみたいな所があるので、よっぽど厳密に利用状況の分析をしないと分からないのだろう。その辺は私は素人なので深入りできない。
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「言葉の乱れ」は気にならないわけではないし、「美しい日本語」は何らかの形で守っていくべきだと思っている。だが、基本的に私は「言葉は変わるものだから、現在の言葉遣いをとやかく言って矯正させようとしても意味がない」というスタンスをとっている。むしろ、言葉の乱れを声高に言い募る議論に反感を覚える、と言った方が正しい。
なぜなら、この手の言葉の議論というものは往々にして、「日本人のくせに/いい大人のくせに、こんな言葉遣いしかできないなんて」という「人格批判」になっているからだ。もちろん社会通念や礼儀作法としてきちんと覚えておくべき日本語の使い方というものはある。だが、それを変に若者言葉批判と結びつけ、「こんな汚い日本語を使っている人間はダメだ」と言外ににおわせる「日本語論」が多いように思うのだ。そこには、「こんな美しい日本語を使っている自分は偉い」という思い上がりがちらつく。