「本格vs社会派」図式論ふたたび?

A・Mさんの日記(9/27分)と牧人さんの日記(id:makito:20030927、id:makito:20030928)を読む。
おそらくA・Mさんが読まれたのは私も最近入手した評論だと思う。積ん読の山から取り出して最初の方を中心に目を通してみた。
おそらくこの作者の問題意識は「推理小説をいかにして成熟した一つのジャンルとしていくか」という点にあったと思う。トリックにこだわることを批判してはいるが、これは謎解きそのものの否定というよりは、むしろそのことで推理小説がマニア向けの偏狭なものに堕してしまうことを懸念しているように思った。
推理小説が広く人々に受け入れられ一つのジャンルとして認知されるためには、読者がリアリティを感じられるようにすることが必要である。そして推理小説の核である謎解きを軸にしつつリアリティを持ち込むために、動機や社会矛盾といったものを謎解きの要素に組み込むことが必要だ、というのが作者の主旨であろう。
注意すべきは、この作者自身は、張りめぐらせた伏線を最後に回収し解決に持ち込むという推理小説の解決に不可欠な作業がどうしても「非文学的」になってしまうと述べつつ、「誰か出て、この点に革命を起こすものはないか」と述べていることである。すなわち、トリック・謎解きとリアリティ・社会性は絶対的に相容れないものだとは考えていない。
ただ、この作者は「(現実離れ気味の)トリックやロジックを逆に洗練させて謎解きの完成度を高めていく」という方向をあまり念頭に置いていないのは確かだ。それは当時の推理小説の作品群が、トリック主義の行き詰まりを感じさせていたせいなのかもしれない。また、その後生みだされた完成度の高い本格作品の数々は、作者の想定をいい意味で裏切ったことは間違いない。それゆえ、当時と現在の推理小説の状況の差を割り引いて見る必要はあるだろう。


ちょっとA・Mさんの揚げ足取りになってしまったかもしれない。ここから、作者は牧人さんが書いているような問題意識を含みこむような形で「これからの推理小説の姿」を構想していて⋯⋯という話になるのだが、書きだすとまたとんでもない分量になりそうなので、いったん打ち切り。
ここまで書いておいて、私が読んだ本とA・Mさんが読んだ本が違っていたらどうしよう。