「本格vs社会派」論を考えるために

昨日の話に続けて、「本格 vs 社会派」という図式について考えてみたい。実際のところは、図式を論じるというよりは、この図式の意味を考えるときに取り組むべき問題を以下で論じている。

「社会派」という言葉を「本格」と対になる概念として考える場合、「社会派」の定義以前に「本格」の定義が重要になってくる。しかし、多くの人が言っているように、「本格」という言葉は使う人の思いや理想を多分に含みこんだものであり、実体のとらえにくい概念である。それゆえ、「本格」に対置される概念としての「社会派」という言葉も、当然実体のとらえにくいものとなる。しかも、ここでの「社会派」は「アンチ本格」という否定的なレッテルだから、論じている当人にとって気にくわないものや嫌いなものがすべて「社会派」と名付けられてしまうことになる。それゆえ、もはや「社会派」という言葉はごみ箱のような存在になっている*1

そもそも、「昭和中後期本格推理闇黒時代史観」(©滅・こぉるさん)が言う「社会派全盛の元で本格が不遇をかこっていた」ことの実相がよくわからない。私はもちろんリアルタイムで「本格不遇の時代」を経験していたわけではないし、その時期の本を読み込んでいるわけでもない。話としては理解しても、具体的にその時期に何があったかは知らない。
謎解きオンリーの本格推理に対して「古い」という批判があったことは確かなようだ。これは綾辻行人十角館の殺人』(講談社文庫)の解説で鮎川哲也が語っている。また、書き手ばかりでなく読者の方でも、謎解きオンリーの本格推理を読んでいると少々肩身が狭い風潮があったらしい。これは新本格をリアルタイムで体験した私より年上のミステリファンの方がよく述懐しているのを聞く。
どうやら「謎解きものなんて」という風潮があったことは確からしいが、逆に社会派賛美ということがあったのかはよく分からない。現実問題として本格ものの刊行点数が減ったのかどうかも分からない。「本格ものの低迷と社会派の全盛」ということの内実は、いくつかのミステリー史の文献を見るかぎりではよく分からないのだ*2

「社会派のお化け」(©アシェさん)に振り回されず、昭和ミステリー史をきちんと論じるために必要なことは、「社会派全盛・本格不遇の時代」といわれる時期に実際に何があったのかという事実をきちんと資料的に押さえることだろう。さもないと、実体のない「社会派」を批判して事足れりとする無意味な議論の繰り返しに陥る恐れがある。
そのためにやるべきことは二つある。
第一に、いわゆる「社会派」としてひと括りにされがちな「綾辻以前」の作品を現代の視点から再評価すること。評論であれブックガイドであれ、戦前の探偵小説と新本格以降のミステリーはよく対象とされているが、その間の昭和期についてはあまり論じられていないように思う。この辺は『ミステリーズ!』に連載される予定の「本格ミステリ・フラッシュバック」に大いに期待したい。
そして第二に、なかば通説と化している「本格バッシング」「社会派賛美」の実態を歴史的にきちんと論じること。どこからこういう議論が出てきたのか、それがミステリーを取り巻く環境にどう影響を与えたのか、資料をベースに実体を押さえることが必要となる。言うなれば「本格」もしくは「社会派」の言説分析である。そのためには、鮎川哲也も亡くなり、当時の状況を知る人もだんだん少なくなっていくのだから、当時を知る作家に今のうちに聞き取りをしておく必要がある。
これらの作業こそ、探偵小説研究会に取り組んでほしい仕事である。ミステリーの構造を文学的に分析することもそれ相応の意義があるのだろうが、日本のミステリーを歴史的に、あるいは社会学的に研究する仕事にも取り組んでもらえないだろうか。日本の「本格」や「社会派」の流れを資料的に検証することが、実はとらえどころのない「本格」を考えるための早道だと考えるが、どうだろう。

*1:いわゆる学問の中で同じような役回りを持たされている単語として、他にも「修正主義」とか「本質主義」とか「家父長制」とか「(権力装置としての)国民国家」とかが挙げられるだろう。

*2:私見では、昭和中後期に起こっていたのは、「本格」と「社会派」というミステリー内部のジャンル対立というよりは、ミステリーを一段低く見ようとする一般文壇とそれに反発する推理文壇との対立ではないかと思う。一般文壇が文学性や社会性を持つ作品に偏って評価を与えたのに対し、娯楽を追求するミステリーというジャンルが正当に評価されないことに反発した、というのが基本構図ではないか。推理作家たちがミステリーというジャンルの魅力をアピールしていく中で、逆に「ミステリーの通俗小説化」に対する批判が現れたと考えられよう。都筑道夫佐野洋のいわゆる「名探偵論争」や小泉喜美子の議論は、「本格対社会派」よりは「文学対ミステリー」という構図の中でその意義を論じた方がよりしっくりくると考える。